狂人に刃物 - コーヒーブレイク

2001年 7月20日 築地

気違いに刃物と言う例えがあるが (差別用語であるので「狂人に刃物」とする)は考えただけでも背筋が冷たくなる。
最近は刃物が簡単に銃器にとって変わられる。"狂人に猟銃"、これこそは私が考える最悪のパターンである。

言うまでも無いがこのコラムを読んでいる人の大半は絶対にその様な事があってはならないと考えているはずである。
アメリカ等で起きている銃器による大量殺人など、ほとんどがこの狂人に猟銃と言うパターンであろう。
アメリカではともかく、日本では現実に精神病院に入院している患者に所持許可が交付されるわけはない、それだけでなく精神病院に通院歴があれば所持許可の交付は事実上されていない。

従って警察の許可行政はまともに機能していると断言できる、しかしながら、精神異常といえないレベル、単なる躁鬱病程度の人の場合は、所持許可は交付される。
これは考えてみれば当たり前の話で、躁鬱病患者まで所持許可交付に対して警察からあーだこうだと言われたのでは、多くの人がその対象になりかねない、多かれ少なかれ、大多数の人が躁鬱病の"気"はあるのでは無かろうか? 
まあ、"気"だけですんでいる場合は実害がないが、実を言うと私の周りですでに3人の人が自殺している。自殺する以上、いずれも何らかの形で精神を病んでいたことは間違いない。
自殺者の3人はいずれも銃砲所持者である、これが服毒自殺や首吊り自殺なら、別段関心も持たないが、猟銃所持者の場合は、自殺の道具に猟銃を使う可能性があるので問題が深刻なのである。
日本における自殺者は年間3万人に上ると言われている、その中のわずか3人なので統計的には非常に少ない数ではあるが、銃器を使用した自殺は深刻な社会問題化する可能性がある。その深刻さの度合いは、周りの人を簡単に事件に巻き込む可能性にある。

警察がひた隠しに隠すので私もあえて詳細を言わないが、ある自殺者の場合は、自分以外に3名の人間を殺して自らも自殺しているのである。これは自殺と言うよりは殺人事件であると思うが、この事件は新聞にも、テレビにも、一切報道されていない、しかしながら、当の本人と私は自殺前日に話をしている、話した感触では私自身相手に対して異常は感じたが、自殺するレベルの異常さでは無い。
話しただけで当人が自殺するかどうかは恐らく医者でも見抜けなかっただろう。
実は当人を良く知っているある精神病院の院長先生も当社のお客様なのだが、先生に聞いた話では確かに当人に異常な所はあるが、精神病院で治療したわけではなく、単なる変わり者程度のレベルでしかないと話して居られた、検死を担当された警察医の先生も当社のお客様なのであるが、自殺した当人の部屋の中は乱雑の極みで、全く整理が出来ていなかったとの事であるが、しかしながら、それだけで精神異常とするには無理があるのでは無いかと言うのが私の感想である。

裁判では殺人事件を起こした人間を精神鑑定する事があるが、私に言わせれば殺人事件を起こすのは元々何らかの精神異常があるから殺人を起こすわけで、元々の精神異常か、脳に何らかの傷害が無い限り、まともな人間が元々殺人を犯す訳がないと言うのが私の考えである。
しかしながら精神障害は誰でも起こり得る要素がこの世には満ちあふれているように思える、その最大の問題が常々色々な形で加わる精神的なストレスである、もっとありていに言えば、お金である! 資本主義社会である以上多くの価値観、多くの評価はお金で計られる、企業業績、個人年収、多くの評価がこうした金銭に置き換えて評価されている。
しかも、人間の欲は上限と言う物がない、従っていくら稼いでも達成感と言う物はなかなか得られないのでは無かろうか、そのストレスが有る限りこれからも多くの問題が発生するように思えてならない。
当社のお客でも精神異常一歩手前と言う人は時折見かける、最近ではこういう事例があった、お客のリクエストに応えてある銃のサイトを交換してあげた、サイトを交換するだけでから単なるねじを外して再度ねじを締めるだけの仕事なのであるが、当人から銃口から見たらねじが貫通していると言うクレームが寄せられた、ねじ穴加工をしている訳では無いので絶対にあり得ない事なのだが、当人はそう信じて疑わないのである。
またあるお客は、銃が付いたら取り付けられていたスコープがガンケースを開けたらポロリと外れたとか、こちらが頭を抱えそうなクレームを寄せて来ることがある。
そうかというと、変質狂的に私の悪口を言っている人間とか、とかく最近は狂ったような人間が多くてこちらが当惑することしきりである。しかしこういう精神異常者には出来るだけ近づかないようにしている、何時こちらが被害者にならないとも限らない。
君子危うきに近寄らずである。

動物で自殺する物はいないので、自殺と言う手段をとるのは人間が知能を得たその反作用と見る事も出来るかも知れない、しかしながらわざわざ必要以上のストレスを自分に課して、自らの脳細胞をパニックにするような愚かな事は何としても改めるべきである。
私は精神科医ではないので解らないのだが、今まで自殺した人たちとの会話を思い出してみると、自殺寸前は明らかに情緒不安定であった、ひどく攻撃的になったかと思うと、翌日詫びの電話をしてきたり、私からすると明らかに異常なのだが、元々そうした人は数えくれない位いるので、それらの人の行動全てを異常な行動と結びつける訳にもいかない、
私みたいに酔っぱらったり、スケベになったり、法螺を吹いたり、私自身はそうした事でストレスを解消している側面も有るのでだが、自らストレスを抱える人は、そうした私をみて相変わらず変質的な非難を続けるのかもしれない。
しかしながら、困った事に人の悪口は自らのストレスを解放する最良の手段でもある、上司の悪口、部下の悪口、飲み屋に行けば皆さんそれぞれ話して居られる、皆さんのストレス解放になるなら、いくらでも私の悪口を言っていただいていっこうにかまわない。
逆に私は誰かの悪口を言うと言う場面はあまりない、それは私自身、別段普段からストレスが無いからかも知れないし、私が単なるスケベな酔っぱらいのせいかもしれない。

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