GUNビジネスと人種差別 - コーヒーブレイク

2000年 4月 9日 築地
追記 2000年 4月24日 築地

私のコラムはアメリカに在住している人たちも閲覧しているので、この書いた内容に関して、そのとおりだ! と言う意見も在るかも知れないし、あるいは的はずれだと言う指摘も在るかも知れない、しかしながら、いかなる批判も、いかなる指摘も甘んじて受けるが、少なくとも私はそう感じたのでこの今まで誰も書かなかったことだが、コラムを書くことにした。

1970年、私は不安と希望を抱いてアメリカに渡った、GUNビジネスを生業とするためである。1960年代のアメリカは公民権法の承認を巡って人種差別問題が大きな社会問題となっていたが、実際にカリフォルニアで生活してみると全く人種偏見を感じる事は無かった、銃の制作現場でも多くのアメリカ人が色々親切にしてくれた、それらの人達空はほとんど家族同様の処遇を受けたと言って良い、少なくとも人種的な偏見は全く無かったと断言できる。

しかし、アメリカでGUNビジネスの世界にどっぷり生きている間に、GUNビジネスの業界ではほとんど黒人が居ないことに気づいた、皆さんも手元にアメリカの銃雑誌が在ったら開いて見て貰いたい、その中の何処にも黒人の写真は一枚も無いはずである。
ハンテングの雑誌、銃器の雑誌、何でも良い、黒人の射手は一枚も写っていないはずである。日本に居ると全く意識する事はないが、今まで何気なくアメリカのGUN雑誌を見ていた人は、よくよく意識して全ての写真を熟視して見て貰いたい。

アメリカのGUN雑誌には黒人の写真は一枚も無いはずである!

黒人が本質的に銃を嫌いならこうした事も解らないでは無い、しかし黒人街で未だに銃の乱射が絶えず銃によって多くの黒人が命を落としているのも事実である、そしてそれを撃っている加害者もほとんどの場合が黒人である。で、あるからして黒人が銃を所持していないと言うことではない、銃が多いから社会問題となっているのである、事実銃砲店に行くと黒人が拳銃を購入している場面にはよく遭遇する事がある。
しかし、私がレポートしたGUNビジネスのイヴェント、ショットショーでも、黒人に出くわすことはまずあり得ない。
ショットショーの会場では日本人を見かけることは多々あるが、黒人は何故か一人も居ない。ショットショーの会場では日本人は少数派であるが、黒人はゼロである、来場者は数万人とも言われるが黒人が一人も居ないのは、どう考えても極めて異常な世界である、展示している側は勿論、お客としても存在しない。仔細に考えるとかなり異常な世界である。

私が、この異常な世界に初めて気付いたのは渡米してすぐの事である、GUNビジネスの世界で私に親切にしてくれた人たちは、この世界では私はあくまでも "お客さん" であるからである。
勿論、日本人であっても、この世界で生きていく事も問題はない、しかし当時の私はビジネスの頂点を極めたかったのです、勿論その事は簡単に出来る事ではないし、私に出来るとも思えなかったのだが、当人の能力以外の事でGUNビジネスの頂点を極めるその道が最初から閉ざされているとしたら早めに方向転換する方が賢明と言う物である、そのため私はアメリカでの修行を終えて、アメリカでは無く、日本でGUNビジネスの頂点を極める事に目標を改めた(勿論、現在に至るも頂点は極めていないので誤解の無いように、これはあくまでも目標である)
これは単なる人種差別と言う簡単な問題ではない、銃は白人社会の物なのである、ジャズやブルースが黒人の物であるなら、カントリーは白人の物である。善し悪しでは無い、それが文化なのである。私はカントリーソングが好きなので衛星放送でカントリー音楽専門を24時間放送しているチャンネル、CMTと契約しているが、私は今までこのチャンネルで黒人が歌っているのを見たこともない、しかし、誰もそれが人種差別だとは指摘しない、これは人種差別ではなく文化なのである。同じように白人がブルースを歌っても似合わないでは無いか。ここまで書くと、アメリカ社会は病んでいるよ思いがちだが、それでは皆さんにお聞きしたい。

かりに、黒人の刀匠が居たとしよう、全く同じ技量の日本人の刀匠も居たとしよう、売っている値段が全く値段が同じだったら貴方はどちらから買います?

結果は聞くまでも無いでしょう、しかし、刀匠の技術を学びたいと言う黒人が居たら多分大歓迎をされるのでは無いかと思う、それは日本刀の制作現場では黒人は "お客さん" であるからである、丁度、白人社会でGUNビジネスをやろうと目指した私の様に。

私がGUNビジネスをアメリカで始めたとしても、そこそこのビジネスは出来るであろう。頑張れば小さな銃砲店の店主、あるいは、運に恵まれ才能にも恵まれたとして、最高に出世して大会社の副社長、せいぜいそこまでである。出来る、出来ないの問題ではなく、コルトの社長が日本人では絶対にまずいのである。
日本人が寿司屋のオーナーになっても問題は無い、コンピューター会社の社長になっても問題はない、しかし、銃器会社の社長はまずいのである、コルトも、スミス&ウエッソンも、ウインチェスターも、レミントンも、まずいのである。もし日本人が社長になったら、多分その会社の売れ行きは激減するであろう。善し悪しでは無くて、それが銃社会の美学なのである。この事は単にアメリカの問題ではなくヨーロッパでも同じ様な事が言えるであろう。私は毎年ドイツにも行く、批判を承知であえて書くが、私はナチスの政策には心情的に賛同できる物がある、ヒットラーの書いたマインカンプは基本的には人種問題だと考えている、さすが日本語版では削除されているがオリジナルのマインカンプでは日本人の事も相当悪く書いてある、しかしそれはそれでいい、戦争の多くがこの人種問題から端を発していることを思うと、当然にしてこの問題を避けて通れはしないであろう。
私自身ヒツトラーの書いたマインカンプを読んだ為に多少はナチスの事情には通じているが、ある時、GUNビジネスで知り合ったドイツ人にビールを飲む席で、"ナチスも悪くなかったな"、小声で言ったら、かなり意気投合して話が弾んだ、私はむしろ怪訝な目で見られるのを承知であえて言ったのだが、どうも話を聞くとドイツでもGUNビジネスの世界では、思いの外ナチスが多いそうだ、日本ではナチスと言うといきなりヒットラーを連想されると思うが、ナチとはドイツ語で言う所のナショナリズムの事であるから、どんな国でも国民の間に自然にある思想である、逆にナショナリズムの無い国は独立国として存在し得ない、どこかの属国でもなった方が賢明だろう。
ネオ、ナチと言うと頭を丸刈りにした怖いお兄さん達の集まりみたいに言われている一面もあるが、ネオ、ナチとは、ドイツ語で言う所の、新ナショナリズムの事であるから、この事もどこの国民でも抱くごく常識的な感情であることを説明しておく。

さて話は変わるが、先月、アリゾナ州フェニックスで開催されたベンチレスト射撃競技、カクタスシュートに参加してきた、250名の参加者の中で、たった一人だけ黒人の選手が居た、チャントした銃を持ち何の遜色もない選手だったが、驚いた事に誰も彼に話しかけない、"完全に無視"と言う感じである、私が彼の立場だったらいたたまれない感じがしたであろう。
ベンチレスト射撃の世界では、みんなそこそこの成功者が多い、彼も多分、黒人社会の中では成功者の部類かも知れない、そして希望を持って大会に参加してきたのであろう、しかし、多分来年の試合で彼を見かける事は無いであろう。
射撃大会は、白人社会の所有物である、これは私が初めて渡米した30年前と少しも事情は変わっていない、いやいや数百年前から全く変わっていない、そして私が生きて射撃をやっている間は多分変わることは無いであろう。


追記 2000年 4月24日

★★ 読者からの意見 ★★

コラムを読ませていただきました。築地さんのGUNビジネスのフロンティアとしてのご苦労は真に尊敬申し上げます。
ただ「GUNビジネスと人種差別」のなかで、「かりに、黒人の刀匠が居たとしよう、全く同じ技量の日本人の刀匠も居たとしよう、売っている値段が全く値段が同じだったら貴方はどちらから買います?
結果は聞くまでも無いでしょう、...」の記述、及び「射撃大会は、...、そして私が生きて射撃をやっている間は多分変わることは無いであろう。」との記述に関して、確かに築地さんが「そう感じたのでこの今まで誰も書かなかったことだが、コラムを書くことにした」ことは画期的なことです。しかし築地さんが日本でGUNビジネスの頂点を極める事が目標であるほどの影響力を持とうとする人であるのなら発言にはもう少し優しさが必要です。日本(もしくは日本語を読める人)には、黒人の方々をはじめとする自己回復不能な差別を受けている外国人や被差別地域出身者、AIDS患者をに代表される不治の病の病人、そして現代でも不当に差別を受けつづけている女性がいます。築地さんの上記表現はそれらの人々の一部に悲しみと恐怖を与えてしまうのです。築地さんにはぜひとも「黒人の刀匠」を選んで欲しいし、「射撃をやっている間は多分変わることは無い」のかもしれないが人種間の障壁撤廃には努力して欲しいと思っています。頂点を極める強い人は思いやりのある人でなければなりません。またインターネットを使い、国を超え人種を超えてビジネスをしようとする人は、多様な人々の気持ちを理解しようと努力しなければなりません。
どうか私の願いが築地さんのホームページ上にもいつしか表現されることをお祈りしております。

4月24日、上記のコメントがありましたのでご意見として掲載致します。(築地)

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