この業界の行方 - コーヒーブレイク

2001年 1月25日 築地

当社のビジネスのスタートは、その対象を最初の内はベテランの人に限っていた、元々、私がファーイーストガンセールスを始める前は、全てのお客様がいずれかの銃砲店のお客様だったわけで、そのお客様を何らかの形で取り込むには普通の銃砲店では飽き足らない、そういう人向けに、もう少しハイレベルな技術サポートの出来る銃砲店でないと立ち行かないと私は考えたからである。
何故ならビギナーと言うか、うぶなシューターの多くは最初から近くの銃砲店に接点を求め技術的なサポートも、射撃指導も、射撃用品の購入もすべて地元の銃砲店に頼り切っていると考えていたからである。言葉は悪いが、地元の銃砲店では手に負えないような、訳知りの、うるさ型のシューターを私が一手に引き受けようと考えたのが元々の構想であった。

当社の値段は従来の銃砲業界価格からすると価格破壊とも呼べる値段であるが、その値段の安さを実感できる人は、すでに何丁も銃砲店から銃を購入している人が一番良く理解できるはずであると考えたからである。ビギナーの人にとっては本当に値段が安いのかどうなのか判断出来にくいと考えたからである。

 当社のHPをご覧頂いている方にはお解りだと思うが、どうやったら銃を持てるの、と言ったビギナー向けのノウハウコーナーは設けていない。最初からベテランシューターだけを対象としていたのである。
最近、銃砲業界では新人が来ないと言う深刻な話を銃砲店の関係者から聞く、新しく射撃を始めると言う人が減少していると言うのがこの業界の感触の様である。この業界としてはそうかも知れないが、当社では最近になり結構ビギナーの数が多くなっている、お客様の中には最初から銃とガンロッカー、装弾ロッカーを買い求めるので聞かなくても簡単にビギナーと解る。
最初からビギナーが来る、この現実はインターネットの普及によるところが大きいと実感している、多くのビギナーが先ず、最初に情報を求める先は、インターネットの世界である、インターネットが一番お手軽だからである、幸か不幸か、銃砲業界では入門書と言うべき書籍が劇的に不足している、その情報不足の穴埋めをしているのがインターネットなのである。

 物事を勘違いして、それでは銃砲関係の入門書を作成しようなどとしてはいけない、そんな本を作ったとしてもせいぜい初版3000部くらい出しておしまいである、版を重ねたとしてもせいぜい1万部であろう、銃砲店に置いてある業界唯一の専門誌"狩猟界"ですら1ヶ月の出版数は3000部くらいだと私は推測する、雑誌の発行部数はその出版社にとっては秘中の秘である、雑誌社の人間は絶対に正確な発行部数を言うことはない、それを言えば広告宣伝費が十分に取れないからである、秘中の秘の発行部数を言う場合でも多めに言うのが常識であろう、私は単に推測で言っているだけなので、本当の発行部数を把握して居るわけではない、念のため!
しかし、当社のカタログでさえ年間でで14000部製作しているのだる、当然余計に印刷することはなく毎回すべて配布しつくす、今年は2万部を配布する予定である、当然の話であるが無料配布である。

現在の時代は如何に情報を出すかにかかっている、カタログを有償でなんて図々しいことを言ってはいけない、ビジネスの展開は無償の情報を如何に出すかで勝負が付くと私は考えている、2万部のカタログを出すと1000万円は軽くかかるが、そんな費用は決して惜しくはない、むしろ安いくらいである。
インターネットのアクセスにに付いては、年間で15万件あるが、この数字は日本の銃砲業界のHPとしてはトップクラスであろう、銃を売りたいかどうかは、如何に多くの情報を提供するかに関わると言っても言い過ぎではあるまい。当社のHPは比較的短時間に更新をしているが、その度合いが銃を販売する上での意気込みと言うか熱意になるのでは無いだろうかと思う。
当社では毎年前年比30%UPの売り上げを上げている、当社1社の売り上げは大した数字ではないがそれでも通産省の統計からすると日本全国で輸入される総輸入銃の30%は当社1社で取り扱っている事になってしまっている。
インターネットの時代になって来ると、"地元の"という価値観が薄れてくる、必ずしも"地元"で購入するメリットが薄れてくる、はっきり言って日本全国から銃は当社から購入できるし、装弾は射撃場でも購入できる、地元ではせいぜい狩猟用の装弾の購入に利用されるくらいが関の山になって来ている。こういう話をすると、諸悪の根元はファーイーストの築地だと業界関係者は思ってしまうだろうが、ちょっとお待ちいただきたい! 私を悪者にするのは一向に構わないが、それでは事の本質を見失ってしまう。

日本国内の事例を持ち出すと感情的になり、事の本質を勘違いされてしまうので、海外の例を参考にお話してみよう、アメリカ西海岸のサンフランシスコの例を参考にしてみよう。1970年代はサンフランシスコに30軒近くの銃砲店があったのである、それが現在はハイブリッジアームス1軒だけである、30軒近いお店が閉店して1軒だけ残っていればハイブリッジアームスは大繁盛していてもおかしくないのだが、このサンフランシスコ最後の銃砲店ですら決して現状では大繁盛と言うわけでは無いのである。
しかし、1970年代にあったメーカーの多くは現在も健在である、勿論財務内容は悪くなっているかも知れないが、閉鎖した会社は数えるほどでしかない、1970年代からすると生産量は減少している事は間違いないが、メーカーは堅実に経営しているのである。
数が激減したのは小売の銃砲店だけである、だからこの業界からお客が居なくなった訳では無いのである、ヨーロッパでも同じ事が言える、ドイツでも1970年代をピークに町の銃砲店がポツリ、ポツリと消えて行っている。しかしドイツの銃器メーカーが消えたわけではない、顧客は依然としてドイツに存在しているのである。
最大の問題はそのお客が何処に行ったのかである。お客は消えていない!
世界中で起きていることだが、お客は"地元"の銃砲店からから値段の安い、在庫の豊富な銃砲店に移動しただけである。
スーパーが出来ると行って、地元の商店街が騒ぐのはお客がスーパーに流れるのが解っているからである。これと同じ事が銃砲業界、とりわけアメリカで最初に起こったのである、それは1980年代である、それがヨーローパまで広まり、そして今日本で起こりつつあるのである。では日本で生き残るにはどうしたら良いのかというと、アメリカ、ヨーロッパで生き残った銃砲店のやり方をそのまま履行するのが最良であろうと思う。
何がお客に求められているか、それを徹底的に考えれば自ら回答が出てくるとは思うが。 

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