カクタス シュート参戦記 (2002年) - 海外遠征 (ベンチレスト射撃大会)

2002年 4月12日 築地
続編 2002年 4月17日 築地
追記 2002年 4月18日 築地

毎年、アリゾナ州、フェニックスで開催されるこの大会に参加しているが、我々は最初の大会参加では箸にも棒にも引っかからないような惨めな結果であったが、毎回参加する内に多少は学習効果を積み重ねたと見えて、今年辺りは全員が参加者全員の中で、何とか中頃までに這い上がることが出来るまでになった、それにしてもアメリカのハードルはまだまだ相当高い所にある。

今年の大会から、昨年9月11日のテロの影響だろうか、アメリカで銃器の取り締まりを担当しているATF局(アルコール、タバコ、銃器取締局)の新しい規則が2月19日から施行された。
従来まで銃器のアメリカ本土への持ち込みは原則自由だったのであるが、如何なる理由が在ろうとも事前に許可を取らなければ成らなくなったのである。
私がこの事を知ったのは、3月に入ってからである、しかもATFに申請して許可されるまで平均約60日かかると言うことで、今から動いても逆算するととうてい4月、7,8,日の大会まで間に合いそうもない。

私の友人でベンチレストシューターのターク高野氏に連絡したところ、何とかATFと折衝してみてくれると言うことになり、とりあえず我々は飛行機の予約をし、私は政府の輸出許可を申請した。ATFは何とか大会までに許可を出してくれると言うことに成ったのであるが、送った筈の招待状が添付されていないとか、訳の解らないことを言い出してハラハラさせられた。
何処の行政も同じような物であろうが、遅々として進まぬATFの事務手続に対してターク高野は毎週2回以上電話をかけまくってくれた御陰で、何とか期日に間に合わせることが出来た。ターク高野は、多分何度も"切れそうに"なったのではないかと察するが、最後まで我々に愚痴を言うことは無かった。

ターク高野氏にはこの場を借りて、再度感謝の気持ちを表しておきたい。

いよいよ出発
いよいよ出発

アメリカに到着すると、国内線への乗り換えも、異常とも思えるようなセキュリテーチェックが待ちかまえていた、セキュリテーの後方には銃器を携帯した海兵隊員が警備している物々しさである。

厳重なセキュリテー
厳重なセキュリテー

私は1月のガンショーの時にこの異常なまでのセキュリテーを体験しているのでほとんどマークされるような荷物は持っていなかったが、川村氏は携帯していたサンドバックの中身まで疑われ、携帯していたパソコンには電源を入れてみろと言われ、あげくは靴の中まで調べられてしまった。私から見ると川村氏は遵法精神に富んだ好青年に見えるのであるが、セキュリテーの専門家の視点ではまた別の見方を抱いているのかも知れない。

フェニックスでのホテルは、射撃場の近く、滞在型のホテルで1泊$50のバジェットインに宿泊した。滞在型なので室内にはキッチンまで付いている、ご近所のスーパーで買い物をして自炊してお食事である、私はバドワイザーの瓶ビールを12本、それに同じ銘柄の缶ビールを数本空けて前後不覚になりその日の夜はそのままシートに倒れた!

ホテル
ホテル
お食事
お食事

翌日は練習日なので、それぞれ空いている射台で練習を開始する。
ベンチレスト射撃の場合は、射座が空いていれば自由に練習が出来る。
標的は張ってある物は自由に撃つことが出来るし、当然のことだが自分でも好きな標的を自由に張ることが出来る。

練習開始だ!
練習開始だ!

実際に射撃をしながら、最適のローデングを手探りで探す、我々は日本でローデングした弾を幾つか持参しているので、実際にアリゾナの射撃場で撃ったとき、どのように変化するのか試したのであるが、実際問題は日本でローデングした弾でも、ここアリゾナでも同じような精度があることが確認できた。

私自身は日本と全く同じ条件でリロードすることにしたが、人によっては0.5グレイン程度下げたり上げたりしながら最良のポイントを探していると言うことである。

リローデング中1
リローデング中1
リローデング中2
リローデング中2
リローデング中3
リローデング中3

ベンチレストの頂点を極めたと言われるトニー ボイヤー選手は、なんと2週間前から射撃場に入り、色々な気象条件でテストを繰り返していると言うことである。
昨日はぐでんぐでんに飲んだくれてしまった私としては反省することしきりである。

ベンチレスト射撃の世界では、5発ずつの射撃を5回繰り返し、それぞれのグルーピングで競う、5発撃つと射手は交代するので、その都度全員が銃身のクリーニングをする。
銅ブラシを使い、ボアーソルベントをブラシに浸し10回程度前後にブラシを往復させる、その後に、パッチと言う布でボアーソルベントを拭き取る。

射撃が終わればクリーニング
射撃が終わればクリーニング

それも半端な数では無い、射撃するよりも明らかにクリーニングをする時間の方が長いのである。地面に落ちたパッチの数を見て貰えば1回や2回のクリーニングでないことは容易に推測できるであろう。

今年のリューポルド社のカタログの見出しに、トニー ボイヤー氏が掲載されている、それほど氏のベンチレスト射撃に対する功績は大きいと言うことである。
彼の射撃方法は、極力同じコンデションで撃つと言うことを心がけている。
ベンチレスト射撃の制限時間は、5発に対して7分であるが、この中でほんのわずかな時間、風の条件が同じになることがある、試射をしながら風の変移量をチェックする、風が変われば絶対に撃たない、ひたすら同じ風が吹くのを待つのである、そして風の条件が同じになったと思えた瞬間に、わずか30秒程度で5発の弾を撃ち尽くす、但し風の状況に応じて狙いを微妙に変化させながら撃ち終えるのである。
我々から見たらまさに神業である!

パッチの数!
パッチの数!

同行した加藤さんが車の中で、日本のトニー ボイヤーさんは誰ですかねと聞く、私は、それは川村さんでしょうと答えた! 成る程ね~と相づちを打つ加藤さん。
私は心の中で、川村さんはトニー ボイヤーと言うよりは、どちらかと言うと、トニー谷ではないかと心の中で思った。

日本のトニーボイヤー
日本のトニーボイヤー

トニー谷氏、おっと、川村選手は射撃選手としてよりも、ショッピング チャンピオンとしてここアリゾナでは超有名なのである。何でも今回の大会で総額100万円近いお買い物をしたそうである。スコープを数本、バレルを数本、それに諸々の雑品を購入すると簡単にそうした数字になってしまう。会場には地元ブルーノが出店していて、川村様ご来店を手ぐすね引いて待っていた。

ブルーノ社のテント
ブルーノ社のテント
ブルーノ社の銃身
ブルーノ社の銃身
ブルーノ社の銃床
ブルーノ社の銃床

会場には、エド、ワトソン氏のキャンピングカーも来ており、ここで自作の弾頭を販売している。氏はこうして弾頭を販売しながら全米各地をベンチレスト射撃に参戦しながら回っているのである。

エド ワトソン氏のお店
エド ワトソン氏のお店

大会当日


試合初日は100ヤード競技である。
私は第1射群、川村、加藤氏と射群が続く、1射群目の私は射座について、射座のコンクリートが思いの外冷たいのを感じた、砂漠の夜は相当冷え込むことがこうした事からも解る、射撃場にはようやく朝の日差しが差し込んできているが、辺りには冷気が満ちている。

早朝、準備中の射座
早朝、準備中の射座
1射群目の私
1射群目の私

日の光の強さと、外気温の差がまだ大きくないので風は微風しか吹いていない。
射群が進むに連れて、日の光が増して地面が熱くなってくると、風が舞い出すのかも知れない。

標的がセットされると、初めのシリーズのみ制限時間は10分、試射は自由、1圏的5発打ち込みである。(コメント ファイヤー)の合図で射撃開始である。
ベンチレスト射撃では無風の時に撃つのは最もリスキーな選択である、無風と言っても旗がなびかないだけで、風自体はそこらに存在しているからである、しかもその吹く方向が解らないので弾が何処に飛ぶか解らない、一番コンデションの良い風は、弱い風が一定方向に吹いているときなのである、私は風が一定方向に吹いている時を見計らって試射弾を撃ち込む、"タン"と言う心地よい音を残し、4.8キロのベンチレストライフルを後ろに蹴飛ばしてマッハ3の速度で、65グレイン弾頭が銃口から飛び出して行く、弾丸は0.3秒間の飛翔後、遙か後方で砂のスモークが舞い上がる、弾頭がバックストップの土盛りに当たった、弱い"トン"という音が還って来る。

同じ風の条件で数発の試射を繰り返した後、風の条件が同じ内に出来るだけ素早く5発の弾丸を標的に送り込む。
その間、風は微妙に変化を続ける、右目でスコープを、左目で風旗を見る、同じ条件の風と言いながら風は常時微妙に変化し続ける、トニー ボイヤー選手みたいな超名人になると、その微妙な風に合わせて狙点をミリ単位で変化させて撃ち分けるようであるが、こちらは下手に変化させると命取りにならないとも限らない。
あまり余計な"読み"をしないで正照準で撃ち終える。
3年前に初参加の時は、全く風を読むという基本的なことすら知らなかったので、箸にも棒にもかからない成績であったが、だんだんこの世界でも"スレッカラシ"になってきた御陰で、現在では全員が中位くらいには食い込めるようになってきた。

射群が川村さんに回ってきた、氏は常に強気と弱気、強運と不運、躁と鬱が同時進行で進む事が多いので、成績に関しては良かった物も在る代わり、そうでなかった物も混在する。

春の珍事と言うか、青天の霹靂と言うか、空前絶後と言うべきか、言語道断と言うべきか、なかなか適切な比喩が見あたらないが、これから一生涯の加藤さんの幸運を全てこの瞬間に使い切ってしまったのでは無いかと思われるアクシデントが起きた!

それは最終射群の加藤さんがなんと、あろう事か! 
突然1位になってしまったからである!
私が言っても誰も信じないでしょう、当の加藤さんですら信じていないことなのですから、しかしながら成績表をご覧下さい、ちゃんと1位になっています。

頂点を極めた加藤さんと証拠
頂点を極めた加藤さんと証拠

人生の全てのラッキーポイントを全て使い切ってしまった加藤さんは、これを頂点に一気に下り坂を駆け下りることになるのであるが、それでも瞬間的に頂点を極めたことは間違いない事実なのである。

標的にズームイン!
標的にズームイン!

加藤さんの成績の事を書くと、これ以上私自身が文章を書く気がしなくなったので今回のレポートはこれにて終了!

成績表
成績表

続編 2002年 4月17日

カクタス参戦記、途中で終わるというのでは、築地さんの勃起能力を疑ってしまいます。前戯が終わって、先が埋まった段階で萎えてしまったような......

今回のカクタス クラシック参戦記を読んだ読者の方から上記の感想が寄せられました。

私の勃起能力を疑われては私のチンチンの名誉に関わります、しかしながら(前戯が終わって、先が埋まった段階で萎えてしまったような......)と言うご指摘には、私自身いささか思い当たる節が無いわけではありません。

最も、問題を指摘した読者の記述の方が、逆にかなり具体的でなおかつ真実味があるので、これは問題を指摘した当人が普段対峙している切実な問題なのかも知れません。

そんな訳でレポートの続を書く動機としては、いささかいささか問題の本質から乖離しているとは思いますが、さらに続編を書き上げたいと思います。

昨年フェニックスに来たときは日本で言えば初夏状態だったので、今年は他の物は忘れても海水パンツだけは絶対に忘れないように荷物にしまい込んだ。
夏になって泳がないと言うことは、射撃場に来て射撃しないとの同じ事である。
最初にアメリカに上陸したのはサンフランシスコであるが、ここの気温はほぼ東京と変わらない、ここで国内のシャトル便に乗り換えてフェニックス空港の着いたときの外気は、正しく夏であった、日差し、空気、そうした物がすべて夏の香りを放っている。

旅に出て一番面白いのはなんと言っても季節の変化を楽しめることである、桜の季節から一気に夏の季節に飛べることは海外旅行の最大の楽しみである。
5月にもオハイオ州のクリーブランドでも、ベンチレスト射撃の最大イベントのひとつ、スーパーシュートが開催されるが、ここは1回参加して懲りた! 何故なら5月と言えば日差しのいいときは日本でも初夏の陽気の時がある、そうした日本から北の地にあるクリーブランドでは日本で言えば3月程度の暖かさでしかない、何しろ湖を挟んだ対岸はカナダなので寒いわけである、そんなわけで季節が戻る環境と言うのを私は好まない。

毎月のように全米各地で開催される色々なベンチレスト射撃大会の内で、一番季節感を楽しめるのはアリゾナ州で開催されるこの大会では無かろうかと考えている

到着初日、練習日、第1日目、とほぼ初夏状態が続いていたが、大会2日目は朝から雨模様である、しかも寒い! 当然にして私は半袖しか持ってきていないが、大会参加のアメリカ人達は長袖を羽織っている。それぐらい寒い。

参考までに今回の大会成績を開示しますので、以下のアドレスに飛んで内容をご確認下さい。

http://benchrest.com/nbrsa/sw/reports/abrs0402a.htm
上記はライトバーミント100ヤード競技の記録です 私は139位です

http://benchrest.com/nbrsa/sw/reports/abrs0402b.htm
上記はヘビーバーミント100ヤード競技の記録です 私は159位です

http://benchrest.com/nbrsa/sw/reports/abrs0402c.htm
上記はライトバーミント200ヤード競技の記録です 私は93位です。

http://benchrest.com/nbrsa/sw/reports/abrs0402d.htm
上記はヘビーバーミント200ヤード競技の記録です 私は142位です。

http://benchrest.com/nbrsa/sw/reports/abrs0402g.htm
上記は大会の総合成績です、私は134位でした。

我々の成績は以上のとおりであるが、実は私自身は本当は失格しているのである、それは200ヤード射撃の時、早々と本射を撃ち終わり、最後の弾が1発残っていたので、試射的に撃ち込もうとして、レンジマスターの(リメイン 30セカンド)"残り時間30秒"の声を聞いた後、(シース ファイヤー)"射撃中止"のかけ声と同時に引き金を引いた。
射撃中止の声が有った後、射撃した射撃した場合は失格なのが規則だそうである。

レンジマスター
レンジマスター

私の反則射撃について競技委員の間で話し合いがもたれ、結局"お咎め無し"と言うことになった、考えようによっては、特段皆さんの成績に影響を与えるような成績ではないので大目に見て貰ったと言うことなのだろうと思う。

4年前から日本でも車の番号に好みの番号を選択できるようになったので、早速私も30-06と言う番号を"購入"した、手にした番号は(す)30-06である。
つまりスプリングフィールド 30-06である、カタカナは選択できないので単に偶然割り当てられただけであるが、偶然にしては出来すぎの話である。
アメリカは、車番の選択は一切が自由に選択できるようで、当然にして会場には6PPCと言う車番の車もあった、同好の志を見つけた思いである。

ナンバープレート
ナンバープレート

以前にもリポートの中に書いたことがあるが、射撃の世界ではほとんど黒人を見かけることはない、ガンショーに言ってもほとんど黒人は居ないはずである。
これは人種差別と言うよりは、それぞれの持つ文化の違いと言うことではないだろうかと思われる、今回の大会では唯一、一人の黒人選手が参加していたが、決して仲間から浮いているわけではなく、むしろ白人の選手達と和気藹々と接している。

但し、使用している銃も黒人が好むような派手派での色使いではなく、着ている服も黒人好みの服ではない、そうした価値観の問題、世界観の問題から白人と同化出来ているようにも見えた。

唯一の黒人選手
唯一の黒人選手

我々日本人選手も、日本人だからと言ってアメリカで疎外感を感じたことは一度もない。
あるとすれば、単なる語学力の問題だけである。このカクタスシュートの大会も、昔はオーストラリア、ドイツ、フランス、カナダ、メキシコ、と色々な国から参加していたようであるが、近年は外国から参加するのは我々日本選手だけで、世界的に不況だと言っても、世界的な尺度で見るとまだまだ日本は元気が有る方では無かろうか。

当然来年もカクタスに参加することになるのであるが、来年はもう少し参加者が増えそうな予感がしている。と言うことは日本の景気もやっと底を打ったと言うことなのであろう。


追記 2002年 4月18日

やったね加藤さん
加藤さんが地元の新聞に掲載されました

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